ミン老師

中国の二胡の至宝「ミン・フイフェン」老師が5月12日に他界されました。訃報を聞いた時はかなりショックで、結局ご挨拶もできないまま最後を迎えてしまったので、残念な気持ちが非常に強くていまだに何となく気持ちの整理がついていません。
10年前非常にラッキーな事に、とあるきっかけで上海のミン老師のご自宅にお伺いさせて頂き個人的にご指導を頂いたのですが、ミン老師は体調不良を調整しながら演奏活動をされていましたし、中国でも大勢の前で講義をすることはあっても普段は個人的に生徒を見ることなどないお方でしたので、そのあまりに幸運な機会に、老師のご自宅でご本人を目の前にして演奏することなど普通はありえないですから、緊張の連続でガチガチになりすぎてかろうじて指が動いてなんとかかんとか弾いたという感じでした。
老師のアドバイスを一言一言かみしめて必死に聞いてはいたものの、始終フワフワと気持ちと体が浮いていたのを覚えています。
アドバイスは勿論色々あったのですが、二胡を弾くには語るように何より中国語の語気イントネーションと作品の物語を理解することが大事だとおっしゃっていました。
あまりに私が緊張しっぱなしだったので、実は大変気さくなミン老師は、レッスンが終わると途端に茶目っ気たっぷりに振る舞われ、桃を一緒に食べようといって、桃以外にも次々に果物を渡してきて冗談を言って下さったり、ご自慢のオーディオルームでご自身がつい先日収録されたばかりのオーケストラとの演奏をお聴かせいただいてこの私に感想を求めてきたりと、感想を求められるなんて私は恐縮しすぎて、何と老師にお応えしたのかはまったく覚えておらず、始終冷や汗でした。
体調は回復したり悪くなったりをくりかえしつつも、私が北京留学中の頃は、国家大劇院などで元気よく演奏されている姿を3度ほど拝見していました。老師の体調のこともわかっていたし上海から北京へくるだけでも大変でしょうから、終演後にわざわざ楽屋までおしかけるには失礼かと思って、舞台袖からエールを送るのみにしていました。そして偶然にも北京からいよいよ日本に帰国する最後の記念で伺った国家大劇院の演奏会に名前のクレジットはなかったのにも関わらずなんと急遽出演されたのです!
演奏会の最後のほうでミン老師が突然サプライズ出演しましたから、会場はどっと沸き立ちましたが、私は偶然にも最前列の真ん中に座っていたので感激で本当にビックリしましたし、勝手に不思議なご縁を感じていました。
北京での最後に、まさに手も届くような目の前で老師が元気よく演奏している姿を拝むことが出来たことは感涙もので、演奏中や演奏の合間になんとなく目があったような気がしたので、ありがとうというメッセージのつもりで頭をこっくり振りましたら、気のせいかも知れませんがそれに応えて頷いたような気がしました。
その時の演奏会では、エネルギーに満ちあふれみごとに復活されたかのような演奏をされていたので、体調も完全復活したのだなと本当に安心しきって岐路についたのを覚えています。
北京から帰国後は、上海にいく機会があれば事前にお手紙をと思っていたのですが、結局行くタイミングがないまま先立たれてしまいました。
二胡の至宝の言葉を振り返って改めて教訓にしたいと思います。
素晴らしい人徳で神々しい演奏の数々を残されたミン老師、二胡と共にどうぞやすらかにお眠りください。

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